読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

舞台『カラフト伯父さん』

ジャニーズ関連
伊野尾慧さん主演舞台『カラフト伯父さん』4月29日18時公演を観てきました。舞台の感想を書きますので、まだご覧になってない方でネタバレを避けたいという方はここから先読むことを止めることをおすすめします。


この舞台については公式サイトに載ってるあらすじくらいしか把握しておらず、ほぼ予備知識ゼロで観に行きました。まず、この物語は地震の話ではありません。地震によって心に深い傷を負ったひとりの青年の話です。その心の傷の原因は阪神淡路大震災という実際に起こった地震のことがベースになっていますが、それに捉われすぎてはこの物語の最も大切な部分が失われてしまうのでは、と感じます。
この舞台は、伊野尾さん演じる徹がトラックで鉄工所に帰ってくるところから始まります。静まり返った部屋でお菓子を食べたり、カップラーメンを作ったり、徹がただ普通に生活しているだけの時間がしばらく続きます。でも物音が響き、静まり返る異様な空気は違和感を与えます。まるで何か外してはいけない蓋で閉じ込められたような空間です。そこに突然お金を貸してくれと父と、父が連れてきたストリッパーの女・仁美が転がり込んでくるところから物語は展開します。何故そんなにも、と思うほど徹は父を拒み何度も出て行ってくれと言いますが、いよいよ3人での暮らしが始まっていきます。
次第に徹は仁美に心を開き始めます。この静かな鉄工所でひとりきりで暮らし、毎晩トラックで眠る徹は寂しくないのか?と聞かれ、慣れているから寂しくはないと答えます。しかし、いざ父と仁美が出ていくというとき仁美にはここにいてもいいのだと言います。だんだん徹の人間っぽさが浮かび上がってきた瞬間でした。
仁美に対して心を開き始めた徹ですが、父に対しては一向に冷たいままです。父に抱く憎悪は幼いころから父を”カラフト伯父さん”と呼び、慕っていたころの出来事に原因がありました。ひとつは徹の母の死を看取ってくれなかったこと。母が死んだ時父は言います、「お母さんは死んだんじゃなくて、”ほんたうのさいわひ”を探しに行ったんだよ」と。それからもうひとつ、ここでこの物語の鍵となる阪神淡路大震災が起こるのです。地震で大変だったときに手を貸してくれなかった父に、徹は激しく絶望し怒りを抱きます。周りの人々が一人、また一人と死にゆくなかひとり生き残ってしまったことへの罪悪感と、地震で壊れた街を逃げ惑った恐怖の記憶。徹はずっとこの想いの重圧を背負って生きてきました。毎晩トラックで寝る原因も、少しの揺れに対する恐怖からでした。ここでの徹のセリフには「カラフト伯父さん助けてください」という言葉が繰り返されます。
父は昔、こんなことを徹に話しました。「銀河の星のひとつひとつ、道に咲く名もない花のひとつひとつ、道端の石のひとつひとつも、全て何かの役に立っている。今の悲しみも苦しみも、きっと何かの役に立つ。そしたら、”ほんたうのさいわひ”がわかる。銀河鉄道のように徹をピカピカに照らしてあげる。いつだって守ってあげる。」と。徹はこの言葉を自分にくれたカラフト伯父さんをずっとずっと、助けてくれる、味方になってくれると信じていました。だからこそ、父からの裏切りは徹にとって最大の心の拠り所を失ったことであり、非常にショックな出来事だったのです。「遅くなったけどカラフト伯父さん、迎えに来たよ」という父の言葉でこの場面は幕を閉じます。
徹は冷たくすることでずっと閉じ込めてきた父への思いをぶつけ、次のシーンではまるで何もなかったかのようにけろりとした表情で現れます。徹と父が言い争ったあの晩何があったかはわかりませんが、きっと本当の意味で迎えに来てくれたカラフト伯父さんへの愛情を少しずつ取り戻しているように見えました。父と仁美の出発のために徹が行ったり来たり準備をする部屋は冒頭と同じく小さなラジオの音だけが響く静かな部屋です。最初はすぐにラジオを切った徹でしたが、次にすぐラジオを付け直し、音量を上げます。ここには徹が静まり返ったこの部屋の空気に寂しさを感じ始めた証拠であったのだろうと思います。またあの狭いトラックに持ち込んで寝ていた毛布を綺麗に干します。それはもうこの毛布が必要なくなった、つまり寂しさや罪悪感から逃げるようにトラックで眠ることをしなくてよくなったという意味だったのだろうと思います。3人での暮らしの中で、冒頭で感じた異様な空間の蓋が外され徹はひとりでいることへの寂しさを感じ始めたのでしょう。父が自分の心の声に耳を傾け、本当に迎えに来てくれた今だからこそ、素直に寂しさを表すことができる。カラフト伯父さんというヒーローのような存在を取り戻し、気持ちをブチまけたからこそ甘えられる。そんな感じでした。憎悪ばかりで固めていた父への気持ちは、本当は和解し、もう一度カラフト伯父さんとして慕い頼りたいという気持ちの現れでもあったのです。


この舞台のキャッチコピーは「あの日僕らは何を失ったんだろう」。最も大切にしていたものを失ったときの絶望感は計り知れない。徹にとっての”あの日”は地震の時だけではなく、父に見捨てられたと感じた瞬間すべてでした。その積もり重なった思いの丈は、大好きだったカラフト伯父さんに裏切られ、父への愛情をどうぶつけていいかわからずに歪な形となって徹という歪んだ青年へとなったのです。

こどものころの記憶というのは強烈にその人の中に残ると言われます。地震で失った悲しみを、あとから知るわたしたちには共感は出来てもすべてを知ることは出来ません。しかし、徹を伊野尾さんが演じることには大きな意味があるように思います。彼の中には、その大切なものを失った人たちの悲しみに寄り添うということをしてきた経験がたくさんありますから。人を突っぱね、歪な青年は面白いことや楽しいことが好きな一面もあります。シリアスとギャグの両面があることが、伊野尾さんの見た目と中身を非常にうまく活かしていたようにも思います。


見ている最中、頼むから徹くん幸せになってくれ、と何度も願いました。泣きながら願わずにはいられませんでした。徹はどこかで生きている、そう感じられたのもあの突き刺さるようなセリフの数々と、どこにでも存在しそうな親子像、そして伊野尾さんの演技力によって伊野尾さん自身と徹が同化し、徹を生み出していたことにあると思います。観た人すべてにきっと何か大切なことに気づかせてくれます。きっと心にぐさりと突き刺さる何かがあります。


”ほんたうのさいわひ”を見つけ、徹が幸せになってくれることを望んで。




一観劇者のただの感想ですので悪しからず。観る人によってたくさんの解釈があると思います。セリフも完全な書き取りではありませんのでご注意ください。